月日の流れが残酷すぎて、己のふがいなさに涙する

えー、今日は3年ぶりくらいにおばあちゃんに会いに行って来ました。大学を出るまでずっと一緒に暮らしてたおばあちゃん、今は叔父さんの家の近くの老人ホームに入ってる。実のところ、おばあちゃんとお母さんはとても仲が悪くて、私が小さい頃はよくお母さんが泣いていた。それでも、時が立つにつれて同等となっていた立場は、おばあちゃんが家を出る直前はたぶん逆転していたと思う。跡取りである弟を可愛がり、私のいないところでこっそりお菓子を与えていたおばあちゃん、おかあさんのいないところで悪口を言っていたおばあちゃん。冷たいようだけど、そんなおばあちゃんのこと、実はあんまり好きじゃなかった。だから、おばあちゃんが私の実家から出て老人ホームに入ったと聞いたときも、さほど悲しくもなかった。

でもね、3年ぶりにあったおばあちゃん。私のことうろ覚えだった。それはいい。3年も会ってないんだから。それよりも、たった3年なのにあんまりにも年をとってしまって、どんなに体が辛くてもしゃきしゃきしていた面影がまったくなくなってしまっていたことに驚いた。だって、最初おばあちゃんだってわからなかったんだもの。お父さんとか叔父さんが『ほら、一緒に住んでたちーだよ』って、何度か説明してやっと理解してきたおばあちゃんが『あれあれ、よく来たねえ、うれしいねぇ。元気だったの?』って私に一生懸命話しかけてるの聞いてたら、もう我慢できなくて泣いてしまった。どうして、私もっと早く来なかったのだろう。おばあちゃん、ごめんなさい。

帰り道、もう少し頻繁に会いに行こうと思った。せめて、手紙だけでも送ろうと。だから、ずーっと繰り返し言っていたように、私の花嫁姿見るまでは頑張って下さい。